森田童子が情熱的に語ってくれたのは、聾啞(ろうあ)の子供たちの演劇

森田童子のインタビュー記事
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〇森田童子のインタビュー記事

おしゃべりはごめんだ。と森田童子のサングラスをしていない、よく動く眼が言っているような気がした。そんな気がしただけで、思っていたより多くのことを、彼女は、細い小さな声で語ってくれた。

あなたの歌は、5枚のアルバムを全部つづけて聞いても、同じ色で、同じ時間が流れているような気がする。歌のなかの情景が、まるで、過去の一点でとまってしまったような・・・。

そうですか。新しく変わっていこうというタイプの人間ではないかもしれませんね。いかに自分の内的世界を表現していくかしかテーマがないんです。そのなかに埋もれていていくとすれば、安易かもしれないけれども、そのなかで安楽死したい。新しく変わっていくってことの方が、私は不気味に思えたりするんです。

上の方で左右によく動く彼女の眼が、どうやらとまって、彼女は、ティー・カップを受け皿の上に置かずに、直接テーブルの上に置いた。まるでカップと受け皿がたてる不協和音がいやだ、というかのように。あるいは、その音が他人の視線を自分に向けるのが、いやだったのかもしれない。彼女の歌のように静かで、でも、ある過去の時間にだけ情熱的で犯しがたい奇妙な時間が、僕と彼女の間を流れている。

私だけが覚えておかないといけないことがあるかもしれないしね。外的世界の価値観のなかで、自分を測るのが不可能に近くなちゃってる・・・確かなものって、もしかしたら自分の気持ちだけじゃないか、という気がするんです。

彼女が、小さな声の音程をいくぶんはずしてまで情熱的に語ってくれたのは、聾啞の子供たちの演劇・・・彼らの声になりにくい声が表現するもののすごさについてだった。肉体表現の説得力・・・。

自閉症の子供たちの情緒というものにもひかれるんですね。
そう言えば、彼女の歌の世界にはどこかに自閉症のイメージがあるような気がする。人と関わりたくても関わるための一歩が踏みだせない少年と少女のイメージ。大人になることを拒否した少年と少女。消え入りそうで消えない透明な声で、かたくなに自分の内的世界だけを歌おうとしている彼女。僕の目の前にいる森田童子は、僕を、忘れそうになていく僕の内的なノスタルジックな空間に誘いだす。それが彼女の魅力。

話し終わった彼女は、彼女の歌のとおりに赤いダウンパーカーを着て新宿の人ごみに消えた。


森田童子が情熱的に語ってくれたのは、聾啞(ろうあ)の子供たちの演劇 森田童子が情熱的に語ってくれたのは、聾啞(ろうあ)の子供たちの演劇 Reviewed by 管理人 on 3:27:00 Rating: 5

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