有名な『夢記』妄想と現実、夢と現実との境目がない

般若心経講話
写真:(般若心経講話
明恵(みょうえ)は十九歳の年から四十年間に渡って自分が夢で見たことを書き記したが、これが有名な『夢記』である。われわれ凡人は夜つまらぬ夢や支離滅裂な夢や、夢の中で淫することはあるが、朝、目が覚めるとほとんど忘れてしまう。たまに朝まで憶えていたとしても、一日二日たつうちに、あれは夢なのだといって忘れ去ってしまうのが大部分である。しかるに明恵は自分の夢を日記風に記述したのである。このことは明恵にとって夢は昼間の現実と何ら変わることがない修道の場であったにちがいない。夢と現実の区別がなどというと、夢うつつの人生のように見えるが、まったくそういう意味ではない。彼にとって意識は何時も覚めていたにちがいない。夢を見ても覚めていた。また自分がこうありたい、こういうものを見たい、仏・菩薩の来迎を見たいと一心に祈願する時、夢になってその事実が現れたために、夢もまた現実であった。

明恵がある時、『華厳経』の「十地品」を読誦していたが、読誦三昧のなかに没入し、読んでいる自己も忘我の境に入り、さらになおも読んでゆくと、如来が摩尼宝蔵殿の上で説法しているすがたが目の前に浮かび、如来のお顔を拝することができた。歓喜の涙にくれ、さらに声をあげて経を読んでいると、眼の上が忽ちに輝いた。驚いて眼をあけると、虚空の中に、文殊菩薩が、黄色の光を放って、金色の獅子の上に乗って現れてきた。その身のたけは三寸ばかり、光り輝いていたが、しばらくして消え失せたという。

これは何も夢を見ていたのではない。読誦三昧の中に文殊菩薩が出現したのである。これは前講でかいたスウェーの神秘主義者スエデンボルグの前に、ある夜、一人の人が現れ「われは神なり、主なり。世界の創造主にして救世主なり。われは聖典の霊的主義を人間に伝えんため汝を撰みたり。わが汝に言うところを汝書き記すべし」とのべたことと全くかわりがない。夢の中に仏や菩薩が現れるばかりでなく、さらに読経中に忽然として文殊菩薩がすがたを現すことも、明恵にとっては事実であり、現実であった

引用:(般若心経講話


 エマーヌエル・スヴェーデンボーリ(Emanuel Swedenborg, 1688年1月29日 - 1772年3月29日)はスウェーデン王国出身の科学者・神学者・神秘主義思想家。スヱデンボルグとも。しかし多くはスウェーデンボルグと表記される。生きながら霊界を見て来たと言う霊的体験に基づく大量の著述で知られ、その多くが大英博物館に保管されている。スヴェーデンボリは貴族に叙された後の名。

(wiki/エマヌエル・スヴェーデンボリ)
 

明恵(みょうえ)は、鎌倉時代前期の華厳宗の僧。法諱は高弁(こうべん)。明恵上人・栂尾上人とも呼ばれる。父は平重国。母は湯浅宗重の四女。現在の和歌山県有田川町出身。華厳宗中興の祖と称される[注釈 1]。

(wiki/明恵)
有名な『夢記』妄想と現実、夢と現実との境目がない 有名な『夢記』妄想と現実、夢と現実との境目がない Reviewed by 管理人 on 13:20:00 Rating: 5

0 件のコメント: