〚中国〛民族自決権尊重はどこに、強制的にウイグル人女性のスカートを短くさせる

ウイグル人女性
写真(Twitter)
共産党の最も重要な原則の一つ民族自決権尊重

チャイナ当局はウイグル人女性のスカートを短くさせる為に、街頭で引き止めて、その場でハサミで切り落とすキャンペーンをやっています。

なんとひどく、世界史にない暴挙に絶句!!

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新疆ウイグル自治区の歴史的経緯

東トルキスタンにはウイグル人及び同じくトルコ系言語を使用する諸民族―カザフ人、ウズベク人、キルギス人、タタール人、タジク人-などが住んでいる。中国の最近の人口調査によると、東トルキスタンの総人口は1925万人。これは、この土地で違法居住している749万人の漢人移民を含む数字である。(1949年以前は、漢人が20万人ほどしかいなかった。しかも、満州(清)の時代やその後の軍閥らとの戦いの時代に東トルキスタンに流れてきた軍人や軍人の家族がその大半を占めており、一般の漢人市民はほとんどいなかった。清の侵略以前は全くいなかった。)総人口の中で、ウイグル人は960万人であり、多数を占める。一方で、ウイグル人固有の資料によれば、ウイグル人の人口は2000万人前後とさられている。 

1759年に、独立国家であったサエデヤ・ウイグル王朝(ヤルカンド・ウイグル王朝とも呼ばれる)が、当時の中国の支配者であった満州(清)に侵略され、軍による植民地支配が1862年まで続いた。この間、東トルキスタンのウイグル人及び他の地元民が、再び自分たちの独立及び主権を取り戻すために、勇敢的な奮闘を展開させ、合わせて42回も武装蜂起を繰り返した。結局、1864年には侵略者たちを追放して、カシュガリヤ国を建てた。残念ながら、今回の独立はそれほど長く続くことは無かった。清が1876年に再び侵略して来た。8年にわたる血生臭い奮戦の後、東トルキスタンは1884年11月18日に正式に清の地図に入れられることになってしまい、その名は「新疆」(「新しい占領地」「新たに征服した土地」という意味)に変えられた。 

清が1911年に国民党政府によって転覆されてから、東トルキスタンは清が任命した最後の総監で清の忠実な手先である軍閥の手に入ってしまった。この時、中央政府が事実上東トルキスタンでの影響力を失っていた。ウイグル人たちは、再び自由を取り戻そうと言う意志の刺激で、長期にわたる数々の苦しさを極まる闘争を行い、1933年と1944年に二回独立を果たし、東トルキスタン共和国を建てた。しかし、この二つの政権とも、現地の漢人軍閥や中国共産党の軍事侵入、そして、ソ連の政治陰謀の協力行動によって転覆されてしまった。 1949年に、ソ連の援助を得た中国人民解放軍が侵入してきて、最終的に東トルキスタン共和国を征服させた。そして、東トルキスタン国民の運命を剥奪した。1955年に、中国共産党が東トルキスタンで所謂「新疆ウイグル自治区」を作った。

(引用:世界ウイグル会議
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