今もなお脈々と受け継がれる忍者の心得
三重大学(津市)の学生が、「白紙」のリポートを提出した。教授は「満点」の評価をした。その理由とは――。
— 朝日新聞伊賀支局 (@asahi_iga) September 19, 2019
国際スパイの情報収集術
(写真:新版 決然たる政治学への道) |
幕末が迫った一八二三年に、オランダ東インド会社は、フィリップ・フランツ・シーボルトという一人の男を日本に派遣する。彼は医者というか、「万有学」者というか、博物学(物理学・自然学・その他諸学の学問を総合したもの)を修めた人物だった。彼は、「学者」の待遇で来日し、長崎の出島の外の鳴滝という所に医学所を開くことを許され、三十数人の日本人の弟子を取って彼らに外科手術などの近代医学を教えた。解剖の実地研修を行い、医療の技術を伝授した。
シーボルトとは何者か。それは、当時ヨーロッパに栄えた、Natural History(ナチュラル・ヒストリー、博物学)という学問を体現した男であった。「博物学」とは、ヨーロッパ以外の世界中の生物や民族や地理を探検・調査する学問であった。シーボルトこそは、日本を探索し分析し解剖しくすためヨーロッパが送り込んだ当時、最高の知性を兼ね備えた国際スパイであった、と言える。この後シーボルトによって、日本国内の秘密は学問的手法によって徹底的に暴かれていくことになる。シーボルトは、当時日本国内にあった一切合切の文物を、全て自分の国に持ち帰っている。書籍だけでなく長さ七、八メートルの小船や水車小屋や浮世絵、遊び道具から大工道具の類まで、何から何まで持ち帰っている。それは、現在、オランダのライデン大学の日本博物館にある。シーボルトは長崎留学を志した当時日本で最も優秀な若者たちに西洋学問(蘭学)を教えながら、同時に、彼らに、オランダ語(あるいはドイツ語)で論文を書かせた。日本の国内の風物や、日本人的特徴や日本人がどのように暮らしているか等、日本に関する科学的資料になることがらを全て書かせた。それらを審査して、彼らにドクトル(博士号)を与えていたのである。そのようにして日本国内に自分の弟子たちを育て、彼らから日本国内の情報を全て吸収したのである。これが博物学である。
博物学とはすなわち、帝国主義時代に入りつつあったヨーロッパ列強が、アジア・アフリカ・南米の後進国を自らの植民地にして行くことを速やかに行うため動員された、あらゆる学問の総称のことであった、と言う事が出来る。そこで蓄えられた知識は、政治、軍事的な情報にも容易に転化した。当時の学問はこのような情報戦略(インテリジェンス)の役割を果たしていた。
(引用:新版 決然たる政治学への道)
忍者の心得、三重大学の学生「白紙」で「満点」評価
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