犯罪に対しては「持効というものがある」が「人道に対する罪に時効はない」

ナチス追及
写真ナチス追及―ドイツの戦後
一般的に、犯罪に対しては「持効というものがある。」西ドイツ刑法においても同様で、重大殺人罪には、20年、そうでない殺人罪(故殺という)以下には15年をもって持効とされていた。

ナチス犯罪の場合、時効算定の起点は敗戦の1945年とされていた。したがって、1960年には、後者(故殺)については時効が成立し、これ以後、ナチス犯罪とは重大殺人罪だけを指すことになった。ところが65年、重大殺人罪にも時効の条件が発生してきた。

当初の見通しとしては、ナチスの重大殺人罪については、65年まで大方のところ終了するはずになっていたが、実際には、東欧におけるナチス犯罪をはじめ多くが解明されないままになっていたのだ。

そこで内外の世論の高まりもあって、65年、連邦議会は時効算定の起点を、これまでの1945年から、ドイツ連邦共和国が成立した49年の改める法律を策定した。こうして、ナチスの重大殺人罪の時効は1969年まで延長されることになる。

だが、この69年もまたやってきた。内外の世論の動向を考えても、いまだ残存しているナチス犯罪に時効を認め、追及をやめることはできなかった。そこで連邦会議は69年6月、重大犯罪の時効を、これまでの20年から30年に延長するという刑法改正をおこなった。つまり、ナチスの重大殺人罪は1979年まで追及されることになったのだ。

このように、ナチスの重大殺人罪についての時効は、65年と69年と二度にわたって延長されてきたのでる。しかし、またも79年がやってきた。いまや戦後34年も経過し、ナチス追及打ち切りの声も高く、与党も野党も79年の時効成立には介入しないという意向が強かった。マスコミの論調も、時効延長反対のほうに傾いていた。

だが、やがて与党の社会民主党は、「時効廃止」へと方向転換していく。この背景には、国際的世論の圧力が今度も作用していた。イスラエル、東ドイツ、ポーランドなどから時効成立に対する強い抗議が発せられ、欧州議会も時効成立を許すべきではないという決議を採択したのだ。

国内では、79年一月に六日間にわたって放映されたテレビ映画、「ホロコースト」の影響があった。ホロコーストとは一般には大量虐殺のことであるが、ここではいうまでもなくナチスによるユダヤ人大量虐殺のことである。

これは前年にアメリカで放映されたものであったが、西ドイツでは視聴率は30~40%に達し、自国の暗い過去を改めて突き付けられたドイツ人のなかに、衝撃的反響を呼んだ。放映中に視聴者がテレビ局に寄せた電話は一日平均5千本、手紙は合計1万二千通におよんだという。戦後も34年もたつうちにヒトラーやナチスに対する反省も風化しがちになるなかで、この「ホロコースト」は、ナチス追及の道義的責任を改めて国民に痛感させたのであろう。

こうした状況のもとで各党は、この問題については党議による拘束をせず、各議員の良心にもとづいて投票するとうい態度をとった。79年7月3日、連邦議会では、「ナチスによる大量殺人罪を含む殺人罪一般の時効廃止」を、賛成255対反対220の小差をもって可決した。


人道に対する罪に時効はない

写真: Pardonner ? Dans L'Honneur Et La Dignit'


時はあらゆるもののちからを弱める、時は山を侵食するように悲しみを摩耗させる。時は許しと忘却を促す。時は慰めを与える。時は問題を解決し傷口をふさぐ。だが、並外れた大虐殺の事実が風化していくことなど決してない。逆に時間は、その恐怖を、絶えずよりいっそう強くする。フランス会議による採決は、次のような原理を自明のものとして、また、いわば「アプリオな」不可能性として表明している。すなわち、人道に対する罪には「時効がない」のだ。時効を迎えることは「ありえない」のである。そのような罪に、時間は影響を及ぼさない。 

許し!だが彼らは私たちに、一度たりとて許しを請うたことがあっただろうか?許しを得ることに意味と理由を与えるのは、罪人の苦悩、罪人の孤独をおいてほかにない。罪人がこえて太り、繁栄を謳歌し、「驚異の経済成長」で富を蓄えている時、許しなど、悪い冗談にしかならない。そう、許しは豚どものためにあるのではない。許しは死の捕虜収容所で葬られたのだ。厳密な意味での悟性が知覚しえないものに対して私たちが抱く恐怖は、それが生じた時から、燐憫の情(れんびんのじょう)をも窒息させてしまう・・・仮に被告が、私たちに燐憫の情(れんびんのじょう)を抱かせることがあったとしても、だ。被告は、一度にあらゆることに渡りをつけるわけにはいかない。つまり、被害者側の憎しみを非難し、自分自身のためには愛国心と善意を主張し、同時に許しを請うことはできないのだ。選ばなくてなならない!許しを請うのであれば、余すとこなく。情状酌量の余地も残さずに、自分の罪を認めなくてはならないだろう。 

なにゆえに生き残った人々に、犠牲者の代わりとして、あるいは生存者、犠牲者の親族、その家族の名において、許しを与える資格があろうか?いや、獣が楽しんで手をかけた幼い子供たちのために許しを与えるのは、私たちにできることではない。子供たち自身が許しを与えるのでなければならない。ならば私たちは、その獣どもをに、そしてその獣どもの友人らに向き直って、こういおう。子供たちに自分で許しを請うがいい、と。

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