歴史における「もしも」を考える

写真(歴史が面白くなる 東大のディープな日本史
次に紹介する東大日本史の問題は、1920年代の日本外交に「もしも」と問いを投げかけることで、あの戦争の歴史的必然に私たちの思考を誘います。

〚問題〛次の文章は、当時ジャーナリストとして活躍していた石橋湛山が、1921年のワシントン会議を前に発表した「一切を棄つる覚悟」の一部である。これを読んで、下記の設問A・Bに答えなさい。

仮に会議の主動者には、我が国際的地位低くして成り得なんだとしても、もし政府と国民に、総てを棄てて掛るの覚悟があるならば、会議そのものは、必ず我に有利に導き得るに相違ない。たとえば①満州を棄てる、山東を棄てる、その他支那(注1)が我が国から受けつつありと考うる一切の圧迫を棄てる、その結果はどうなるか。またたとえば朝鮮に、台湾に自由を許す、その結果はどうなるか。英国にせよ、米国にせよ、非常の苦境に陥るだろう。何となれば彼らは日本にのみかくの如き自由主義を採られては、世界におけるその道徳的位地を保つに得ぬに至るからである。(中略)ここにすなわち「身を棄ててこそ」の面白味がある。遅しといえども、今にしてこの覚悟をすれば、我が国は救われる。しかも、こがその②唯一の道である。しかしながらこの唯一の道は、同時に、我が国際的位地をば、従来の守勢から一転して攻勢に出でしむるの道である。
(『東洋経済新報』1921年7月23日号)

(注1)当時、日本で使われていた中国の呼称

〚設問〛
A 下線部①の「満州を棄てる」とは何を棄てることを意味するのか。それを日本が獲得した事情を含め、2行(60字)以内で説明しなさい。

B 下線部②の「唯一の道」をその後の日本が進むことはなかった。その理由を、歴史的経緯をふまえ、4行(120字)以内で述べなさい。

(07年度第4問)

引用:(歴史が面白くなる 東大のディープな日本史

此三地を合せて、昨年、我国は僅かに九億余円の商売をしたに過ぎない。同年、米国に対しては輸出入合計十四億三千八百万円、印度に対しては五億八千七百万円、又英国に対してさえ三億三千万円の商売をした。朝鮮、台湾、関東州の何れの一地を取って見ても、我之に対する商売は、英国に対する商売にさえ及ばぬのである。米国に対する商売に至っては、朝鮮、台湾、関東州の三地に対する商売を合せたよりも尚お五億二千余万円多いのである。即ち貿易上の数字で見る限り、米国は、朝鮮台湾関東州を合せたよりも、我れに対して、一層大なる経済的利益関係を有し、印度、英国は、夫々それぞれ、朝鮮台湾関東州の一地乃至二地に匹敵し若しくはそれに勝る経済的利益関係を、我れと結んでおるのである。若し経済的自立と云うことを云うならば、米国こそ、印度こそ、英国こそ、我経済的自立に欠くべからざる国と云わねばならない。

石橋湛山『大日本主義の幻想』

石橋 湛山(いしばし たんざん、1884年〈明治17年〉9月25日 - 1973年〈昭和48年〉4月25日)は、日本のジャーナリスト、政治家、教育者(立正大学学長)。階級は陸軍少尉(陸軍在籍時)。位階は従二位。勲等は勲一等。 大蔵大臣(第50代)、通商産業大臣(第12・13・14代)、内閣総理大臣(第55代)、郵政大臣(第9代)などを歴任した。

内閣総理大臣在任期間は65日であり、日本国憲法下では羽田孜に次いで2番目に短く、日本の憲政史上でも4番目の短かさである。

wiki/石橋湛山
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