ディアスポラの旅路 在日コリアン記者「私は何人?」

朝日新聞GLOBE2月号
写真:朝日新聞GLOBE2月号
国籍は韓国でも、暮らしたことはなく、言葉もできない。在日コリアンの記者が、ルーツを離れて異国で生きる人に会って考えた。私は何人?


韓国でも日本でもない私

ここ数ケ月、なんとなく居心地の悪い日々が続いている。韓国の最高裁が日本企業に賠償を命じた徴用工訴訟や、韓国軍と海上自衛隊の間のレーダー照射問題で、日本と韓国の間がかつてないほど険悪になっているからだ。

私の祖父母は第二次世界大戦中、当時植民地だった朝鮮半島から日本に渡ってきた。韓国にルーツがあり、日本に生まれ育った身としては、日韓関係が悪くなるたびに、複雑な気分になる。正直、発言もしづらい。

これまで、誰かに「自分では何人だと思う?」と問われれば、「日本でも韓国でもなく、在日は在日」と答えてきた。どちらの国にも帰属しない存在。それが私にとっての在日コリアンだ。だから、私は本名の日本語読みを通してきたし、韓国人として韓国語を学ぶべきだというプレッシャーを感じると反発してきた。

2001年、外国人登録証明書(外登証)を当時の小泉純一郎首相宛てに、郵送した。外登証は免許書と同じサイズのカードで、日本に暮らすすべての外国人にとっての身分証。12年に廃止されるまで、常時携帯を義務付けられており、持っていなければ罰則の対象になる可能性もあった。日本で生まれ育った在日にとっては自分が外国人であることを突き付けられる現象でもある。国への外登証の返上は不携帯を公にすることで、常時携帯義務に抗議するのが目的だった。

しかし、たまたま知り合った運動の参加者に誘われるまで、常時携帯義務について考えたことのなかった当時の私が抗議をしたいほどの怒りに駆られたのは、日本だけでなく、韓国に対しても同じだった。

返上後しばらくして、韓国領事館でパスポートを申請した時、窓口の職員から身分証明書として外登証の提示を求められた。持ってない理由をいくら説明しても理解してもらえず、「携帯は義務だ」と指摘された。「同じ韓国人なのに在日のことを何も知らない」。自分が帰属していたはずの国から拒絶された気になった。

今思えば、窓口の人は日本の法律に従って対応しただけで何も悪くない。しかし、外登証をめぐるこの体験は、韓国への「祖国」としての愛情を失うきっかけになった。本国の韓国人と在日である自分との間の隔たりに気づき、素直に韓国人と言えなくなった。

しかし、それから20年近くが過ぎた今でも私の国籍は韓国のままだ。日本人のパートナーと結婚し、生まれた子どもは日本のパスポートを持っている。私も手続きを経れば日本国籍を取得できる。その方が自然の流れかもしれないと思いながら、踏み切れずにいる。

自分の心に問いかけてみてもモヤモヤするばかりだが、外に目を向ければ、世界には戦争や移民などいろいろな理由で祖国を離れて生きる「ディアスポラ」がいる。国籍とアイデンティティーのずれに悩むのは、なにも在日コリアンだけではない。同じような境遇の人たちに自分の悩みをぶつけてみたい。そんな思いで、私はフランスに向かった。

※ディアスポラ 「離散」を意味するギリシャ語。本来はパレスチナ以外の地に移り住んだユダヤ人とその社会を指すが、今はユダヤ人に限らず、故郷や祖先を離れて暮らす人やコミュニティーにも使われる。

(引用:朝日新聞GLOBE2月号)
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