1963年の中国政府「中国人はたとえズボンをはかなくても、核兵器をつくってみせる」

中国の「核」が世界を制す
1963年(中国の最初の原爆実験を行う前年)、中国スポークスマンは、「たとえ百年かかっても、中国は原爆をつくる努力をする。中国はソ連指導者に向かって頭を下げることはしない。アメリカ帝国主義の核恫喝の前で土下座することもない」と述べた。同時期、中国政府・外交部長の陳毅は、「中国人はたとえズボンをはかなくても、核兵器をつくってみせる」と断言した。

当時、極貧状態にあった中国人は、米ソの覇権主義に対抗して中国の独立を守り、真の発言力を確保するためには、「たとえ百年かかっても、ズボンをはかなくても」、中国は自主的な核抑止力を構築する必要がある、と決意していたのである。 

卓越した中国分析者である平松茂雄氏は、中国の自主的核抑止力の努力を以下のように評価しておられる。

「毛沢東時代に、ひたすら核兵器開発に専心したことは、中国にとっては『賢明な』選択であったといえる。もし中国が通常戦力の近代化に力を入れたとしても、おそらく大したものは出来上がっていなかったであろうから、中国は三流国家として世界から相手にされなかったであろう。中国が大国として発言力を持つようになった背景には、核兵器を保有したことがある。米国やソ連の思うがままにならない、米国やソ連が無視できない地位にまで中国を引き上げる力を核兵器は持っていることを、毛沢東は見抜いていたのである」

核兵器を、「自国の独立を保障するためにもっとも重要な政策手段」と考える中国政府の核戦略は、大成功であった。1972年2月、ニクソンとキッシンジャーが、極貧の共産中国を米国と対等の発言権を持つ大国として鄭重に扱い、米中政府間で、「日本に、独立した外交政策・軍事政策を実行する能力を与えない。日本人には、自主的な核抑止力を持たせない」という米中密約を結んだのも、中国が核武装した独立国だったからである。

(参照:中国の「核」が世界を制す(著)伊藤 貫


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