日本はこういう国の隣に住みながら、中国人の“本質”について全く無知すぎた。漢詩、論語などを学んだ政治家は特に中国人を買い被っている。立派な四書五経を残しているのだから、そのうち立派な中国人が復活してくると思っている。教科書問題が勃発したころ、宮沢喜一官房長官は一言「その報道は間違いだ」と否定すれば済んだものを謝った。挙句に教科書を作成する時には「近隣諸国に配慮する」という近隣条項まで作成した。「丁重に処理しておけば相手も柔軟になる」と言っていたが、相手は図に乗ってきただけだった。(引用:2016年08月24日blogos)
屋山 太郎(ややま たろう、1932年6月4日 - )は、日本の政治評論家。コラムニスト。公益財団法人社会貢献支援財団理事、公益財団法人日本財団評議員[1]。wiki/屋山太郎
儒教が国境となった
前漢に活躍した董仲舒(とうちゅうじょ)は、都・長安に『詩経』『書経』『春秋』『礼記』『易経』の5つの経書を教える「五経博士」という官職を設置し、それをきっかけとして儒教は国教化されました。そして、やがては『論語』『孟子』『中庸』『大学』の4つの経書も合わせて、「四書五軽」が儒教の聖典として確立されたのです。董仲舒は陰陽五行思想を説きました。すべてのものは「陰」と「陽」の性質をもち、また世界は「木・火・土・金・水」の5種類の元素(五行)の相互作用によって成立していると考えたのです。これは、占いなどでよく耳にする、風水や四柱推命の基礎となる思想です。
また董仲舒は、儒教で説かれた≪天≫の意味を強調しました。≪天≫は万物の根源であると同時に、君主が従って生きるべきき規範です。国家の政治が道をはずれると災害下して戒め、為政者の反省がなければ大災害を起こすのです。
この災異思想によって董は異端の疑いをかけられましたが、晩年は官職を辞してすごします。
それ以後の儒教は、道家の哲学が発展した道教やインドから伝来した仏教と争い、時には影響を与えながら、中国哲学の基礎をつくっていのです。(参照:手にとるように哲学がわかる本 )
政治評論家・屋山太郎、中国人の民度は4000年前と同じ、「立派な四書五経を残しているのだから、そのうち立派な中国人が復活してくると思っている。漢文は道徳向上や知識の普及に全く役立たなかった」
Reviewed by 管理人
on
2:24:00
Rating:
0 件のコメント: