祭司なき祭り、女性民生委員・伊藤セツ


祭司
祭司なき祭り
女性民生委員・伊藤セツ

 「・・・・たしかに警察に行ってみても、朝鮮人に盗難癖がある人が多かったり、酒乱も多かったりするんだけど、それは生まれつきといったものじゃありませんのですよ。朝鮮人を生まれつき泥棒だと考えている浅薄な日本人がいるんだけれど、とんでもございません。それは貧しいからです。その貧しさの原因を作ったのが日本人なんです。あなたは朝鮮人の人とまだ付き合いが浅いから仕方ないけども、認識不足というものなのです。昔からいちばん気の毒でかわいそうなのが朝鮮人の人なの。わたしは満州事変のはじまった年に中国に渡ってね、それから大東亜戦争の明くる年に朝鮮に移てね、十数年も中国と朝鮮で生活しましたよ。夫が建築家だったものだから、中国や朝鮮でビルイングなどの立派な建物をたくさん建てたものです。私は外地に長く住んでいたので、だからね、昔の日本人がどれだけ朝鮮や中国や台湾の方々に罪を犯したかよく知っている。最近も朝鮮に関する本を読んでいるうちに、日本人の民族差別がどれだけ深いものか知って、ほんとに私はリツゼンとしてるんですよ。この年よりの軀が怒りで慄えるくらいにリツゼンとするのです。日本人の民族差別意識は私の敵です。私はね、恥知らずな日本人にヒフコンコウガイしているのですよ。かわいそうな朝鮮人の人の境遇を考えると、じっとしていられなくてね、私は足を棒にして、朝鮮人の人たちの要生活保護家庭の生活調査、その他の厚生事業のために歩き廻るのがちっとも苦にならないの。何かあったら署名活動の先頭に立ちます。日本人がどれだけ罪深い人間か、ほんとにあのひとたちは分かっていないんですよ。朝鮮は昔から儒教の国で、朝鮮の人は礼儀正しい人なんです・・・」 

「そうですよ、そうなのよ。私はますますそれを強く感じるようになりましたね。私たちはもう婆あだけど、老体に鞭打って朝鮮の人たちの立場に立って闘い続けるつもりですよ・・・・」

金朋男は伊藤セツが今はなしている論旨が以前に聞かされた話のそれと同じだと思った、彼女は珍しい女性民生委員として地区の貧困朝鮮人家庭問題に対しても積極的に取り組んでいて感謝もされていたが、朝鮮人が慈善と同情の対象という考えの抜けきらない日本人だった。だから、かわいそうな朝鮮人の人、気の毒な朝鮮人の人、そして同時に罪深い日本人ということばが何のためらいもなしに繰り返し出てくる。

(参照:祭司なき祭り (1981年)-古書(著)金 石範
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