写真:これからの「正義」の話をしよう |
これは物乞いにとって不当だと思うかもしれない。だが、ベンサムは物乞いの効用を無視してはいない。物乞いの中には、施しを乞うほうが救貧院で働くより幸せだと言う者がいることを認めている。しかし、幸せで羽振りの良い物乞いに対し、悲惨な境遇にある物乞いの数はあるかに多いことを強調するのだ。こうしてベンサムは、一般の人々が甘受する苦痛や不快の総和は、救貧院に収容される物乞いが感じるすべての不幸よりも大きいと結論付ける。
救貧院の建設と運営が納税者に負担を強いて、納税者の幸福を減らし、したがって効用を減らすと心配する人もいるだろう。だがベンサムは、貧民管理プランを経済的に完全に自立させる方法を提案した。物乞いに出くわした市民に、物乞いを捕まえて最寄りの救貧院へ連行する権限を与えているのだ。いったん収容されれば、一人ひとりの物乞いは自分の生活費を支払うために働かなければならず、その収入は「自己解放勘定」に集計される。この勘定から食費、医療費、衣料費、寝具大、収容所が経費を完済しないうちに死んだ場合に備えた生命保険が引かれる。物乞いを捕まえ、救貧院へ引き渡した市民の手間に報いるため、ベンサムは一度の逮捕に対し20シリングの報奨金を支払うよう提案した。
さらに、隣室の収容者に悩まされる者の不快感を軽減するため、ベンサムは救貧院内の部屋の割り当てについても功利主義の理論を適用した。つまり「何か不都合が生じさせることが予想される収容者の隣には、そうした不都合に影響されないものを入室させる」というのだ。
これからの「正義」の話をしよう
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