写真:哲学の道場 |
囚人たちが薄暗い洞窟の中で鎖にしばれれてうずくまっている。彼らは、光を背にしてその壁に映る影を見ている。そして、その影がスベテであると思い込み、それらに一喜一憂している。あるとき、一人の囚人(Q)が何者かによって鎖をほどかれ、ふと首をめぐらすように強要された。そのとき、Qははじめて上の小さな穴から一条の光が差し込んでいる事を認めた。さらに彼は、まぶしい光の差す戸外に連れ出された。Qは、仰天し目眩を覚え薄暗い洞窟に戻りたく思ったが、やがて光に馴れてくると今まで世界と信じていたことがただの影にすぎないことを知り、幸福を感じるようになった。Qはふたたび洞窟に降りてゆき、仲間たちにこのことを告げた。だが、誰も彼を信じてくれず、それどころか仲間の反感をかい、殺されそうな危険さえも感じるようになった。
このお話の中には、いくつか注目すべき細工がある。それらの細工こそ、プラトンの真骨頂が現れています。まず第一に、囚人が束縛を解かれて「振り向く」ように強制されたことが重要です。哲学的真理は、世の習慣や日常的な態度を捨て、そこからクルリと「振り向く」という動作をしなければ到達できないということ。そして第二に、Qにとってはじめのうちは真理が眩しくてたまらないこと、そのためむしろ「振り向く」前のボンヤリした生活に戻りたくなること。しかし、しだいにそれに馴れてくるとそのうちにいて幸福ずること。そして第三に、Qがこの喜びを依然として壁に向かって座っている仲間たちに伝えても、誰も聞く耳をもたないこと。むしろ、仲間たちはそんな奇妙なことを語るQを殺そうとさえもすること。そうなのです。哲学するとは、こういう逸脱行為をすること。世間的には危険なこと。世間の非哲学的な99.9%の人々から仲間外れになることなのです。
(引用:哲学の道場)
このお話の中には、いくつか注目すべき細工がある。それらの細工こそ、プラトンの真骨頂が現れています。まず第一に、囚人が束縛を解かれて「振り向く」ように強制されたことが重要です。哲学的真理は、世の習慣や日常的な態度を捨て、そこからクルリと「振り向く」という動作をしなければ到達できないということ。そして第二に、Qにとってはじめのうちは真理が眩しくてたまらないこと、そのためむしろ「振り向く」前のボンヤリした生活に戻りたくなること。しかし、しだいにそれに馴れてくるとそのうちにいて幸福ずること。そして第三に、Qがこの喜びを依然として壁に向かって座っている仲間たちに伝えても、誰も聞く耳をもたないこと。むしろ、仲間たちはそんな奇妙なことを語るQを殺そうとさえもすること。そうなのです。哲学するとは、こういう逸脱行為をすること。世間的には危険なこと。世間の非哲学的な99.9%の人々から仲間外れになることなのです。
(引用:哲学の道場)
プラトン(プラトーン、古代ギリシャ語: Πλάτων、Plátōn、羅: Plato、紀元前427年 - 紀元前347年)は、古代ギリシアの哲学者である。ソクラテスの弟子にして、アリストテレスの師に当たる。
プラトンの洞窟の比喩について
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