写真:(神と仏の道を歩く) |
ブルーノ・タウト(1880~1938)は伊勢神宮へお参りして、大きな感銘を受けたという。西行法師の歌った「何事がおはしますかは知らぬども かたじけなさに涙がこぼるる」という思いを感じ取られたのか、著書の中で「この国の最も高貴な国民的聖所である伊勢神宮は、(中略)一切は清純であり、それ故にまた限りなく美しい」とし、また「この壮厳な建築こそ、現代における最大の世界的奇跡である」と述べている。日本人の信仰の中心である伊勢神宮の厳かさ、世界的神秘性に自らも心を奪われたのだろう。
私ども裏千家では先祖代々、毎年五月に伊勢神宮でお献茶奉仕をさせていただいてるが、歴代の宗匠方は、多くの神社仏閣でお献茶をご奉仕する中でも、伊勢神宮でのご奉仕ほどもったいないことなは無いと書き残している。私達は、伊勢神宮を中心として、生かさせていただいている日本人なのだ。
約二十年前、故松下幸之助氏が伊勢神宮に迎賓館を寄贈されるにあたり、お茶室設計の依頼を受けたご縁で、平成十八年、当時の北白川道久大宮司と雑誌での対談が実現した。そのお茶室で、北白川道久大宮司ご持参のお茶道具でお茶を一服いただきながら、五十鈴川の清流を眺め、緑深き神の山の佇まいの中で伝統の心について語り合えたことは、誠に有難いひと時として記憶している。
また、平成二十年一月には、神宮皇學館大學上杉千郷理事長並びに新任の鷹司尚武大宮司の肝煎りで大学にお茶室が設けられた。扁額「日月庵」を寄贈し、茶室披きに伺えたことは、私にとって伊勢と茶道の一体化という意味で嬉しさの極みであった。
日本人だけでなく、外国の方々も多く訪れる伊勢神宮は、日本の誇るべき場所であり、式年遷宮も近い伊勢にお参りすることは、日本人としての自覚を促すことではないかと思う。
この度の神仏霊場会の発足を良き契機として、従前にもまして多くの方々が神宮へと続く道を巡られることを願っている。
引用:(神と仏の道を歩く)
ブルーノ・タウト(Bruno Julius Florian Taut、1880年5月4日-1938年12月24日)は、ドイツの東プロイセン・ケーニヒスベルク生まれの建築家、都市計画家[1]。鉄のモニュメント(1910年)、ガラスの家(1914年)が評価され、表現主義の建築家として知られる。
晩年はナチスの迫害により、亡命先を探していた際に、上野伊三郎率いる日本インターナショナル建築会から招聘を受け、1933年に来日し3年半滞在した。当時の日独関係上、日本政府から公的な協力が得られなかったことから、しかるべき公職が得られず、トルコ政府の招きにより転地し、当地で没した。
(wiki/ブルーノ・タウト)
晩年はナチスの迫害により、亡命先を探していた際に、上野伊三郎率いる日本インターナショナル建築会から招聘を受け、1933年に来日し3年半滞在した。当時の日独関係上、日本政府から公的な協力が得られなかったことから、しかるべき公職が得られず、トルコ政府の招きにより転地し、当地で没した。
(wiki/ブルーノ・タウト)
神の道と茶の道
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