論語とお茶 お茶アーティストっぽくやってみた 

論語とお茶
写真(reddit)論語のランチョンマット


My attempt at artsy tea. from tea

飲み方が変わっても、中国には古くから、お茶を飲むときの雰囲気や精神性を大切にして、芸術的な側面からもお茶を楽しもうという「品茶」の価値観がありました。また、客を茶でもてなす「茶宴」やお茶の品質や審美眼を競う「闘茶」が盛んとなり、それが茶道や茶芸の基礎となりました。

(引用:市川園

論語のランチョンマットに書かれいること

論語 学而第一 1

子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。

「先師がいわれた。聖賢の道を学び、あらゆる機会に思索体験をつんで、それを自分の血肉とする。なんと生き甲斐のある生活だろう。こうして道に精進しているうちには、求道の同志が自分のことを伝えきいて、はるばると訪ねて来てくれることもあるだろうが、そうなったら、なんと人生は楽しいことだろう。だが、むろん、名聞が大事なのではない。ひたすらに道を求める人なら、かりに自分の存在が全然社会に認められなくとも、それは少しも不安の種になることではない。そして、それほどに心が道そのものに落ちついてこそ、真に君子の名に値するのではあるまいか」


論語 学而第一 6

子曰。弟子入則孝。出則弟。謹而信。汎愛衆而親仁。行有餘力。則以學文。

「先師がいわれた。年少者の修養の道は、家庭にあっては父母に孝養をつくし、世間に出ては長上に従順であることが、まず何よりも大切だ。この根本に出発して万事に言動を謹み、信義を守り、進んで広く衆人を愛し、とりわけ高徳の人に親しむがいい。そして、そうしたことの実践にいそしみつつ、なお余力があるならば、詩書・礼・楽といったような学問に志すべきであろう」


論語 述而第七 8

子曰。不憤不啓。不悱不發。擧一隅。不以三隅反。則不復也。

「先師がいわれた。私は、教えを乞う者が、まず自分で道理を考え、その理解に苦しんで歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない」


論語 述而第七 21

子曰。三人行。必有我師焉。擇其善者而從之。其不善者而改之。

「先師がいわれた。三人道づれをすれば、めいめいに二人の先生をもつことになる。善い道づれは手本になってくれるし、悪い道づれは、反省改過の刺戟になってくれる」


論語 季氏第十六 4

孔子曰。益者三友。損者三友。友直。友諒。友多聞。益矣。友便辟。友善柔。友便佞。損矣。

「先師がいわれた。益友に三種、損友に三種ある。直言する人、信実な人、多識な人、これが益友である。形式家、盲従者、口上手、これが損友である」

論語学而第一1~論語季氏第十六4は引用です:Web漢文大系
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