写真:ドキュメント映画ソビブル、1943年10月14日午後4時 絶滅収容所の死亡率が100%にならなかた理由の一つは、ソビブルで43年10月に起きた大規模な暴動だ。遺品の処理や施設の補修などをさせられていたユダヤ人300人が、自分たちもいずれ殺されると察し、施設を管理するナチス親衛隊を次々と殺害して脱走を図った。このうち62人前後が追っ手を逃れ、戦後を迎えた。(引用:2016年5月19日 朝日新聞 ソビブルの声)
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