『ポケモンGO』ゲームディレクター、小学校6年生から新聞配達 物心付いたときから母と豆腐を売り歩く

『ポケモンGO』ゲームディレクター・野村達雄(30)さん
写真(youtube)BBC News Japan/ナイアンティック社の野村達雄さんにBBCの大井真理子記者がインタビュー
いまは日本国籍だが、中国・黒竜江省の寒村に生まれた。父方の祖母は日本人で、戦時中に旧満州に渡ったが戦後取り残され、中国人の祖父と結婚。母方は中国人だ。物心ついたときには、母について早朝から豆腐を売り歩いていた。村に娯楽はなく、4人の姉と野山で遊び、冬は板からそりを作った。9歳のとき、一家は豊かな暮らしを求めて日本へ渡る。

親類を頼り、長野市に移住した野村さん一家は、ほとんど日本語が話せず、苦しい生活を送った。父親は工場現場などで働き、母親は豆腐工場で働いて生計を支えた。

野村さんは小学校6年生から新聞配達を始めた。同級生がまだ寝ている薄暗い時間に起きだし、雪の中を自転車で約200軒回った。「つらいと思ったことはなかった。普通の家の生活レベルよりずっと下から出発して、がんばればどんどん生活が良くなることを実感できたから」

この頃からゲーム好きでコンピューターの仕組みにも興味があった。月に3万6千円のアルバイト代をためてパソコンやゲームを買い、独学でプログラミングを学んだ。信州大学工学部でコンピューターの頭脳部分とも言えるCPUを設計。スパーコンピューターの研究をした東工大大学院では多くの外国人留学生とも友達になり、英語を身に着けた。

11年に入ったグーグル(現アルファベット傘下)での仕事は刺激的だった。「コンピューターが本当に好きな人が集まっていて、好きなことをやれた」

(引用:朝日新聞Be)

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